嘉祥元年(848)、一世の美人とさわがれた玉造小町が難病で苦しみ、治療の効なく次第に醜くなっていく自分の顔を眺めながら、「仏様の御慈悲にすがっても」という深刻な心情で武蔵国分寺を訪れました。
薬師(現国分寺本尊)の宝前にぬかずき、精魂かたむけて祈りつづけること21日目。一人の童子が突然現れ、小町をとある池のほとりに誘い「この池水にて洗うべし」といって姿を消してしまいました。この仏様の御慈愛によって小町の難病はなおり、元の美しい姿になりました。
このことからこの池を真姿の池とよび、弁財天が祭られています。
この曲では、最初は Piano で水滴の音を、途中から水滴の音を Glockenspiel、水流の音を Piano で表現し、最後はまた Piano の演奏する水滴の音で終わります。