日本で始めて開発されたロケットが、ペンシルロケットでした。
現在の早稲田実業の校庭は、1955年当時、新中央工業の工場の跡地でした。新中央工業は、その国分寺の工場で以前「ナンブ銃」を製造しており、そこに銃を試射するピットがありました。
1955年3月11日、このピットでペンシル初の水平試射を行い、次いで4月12日には、関係官庁・報道関係者立ち会いのもとに、公開試射を実施しました。
ペンシルは、長さ1.5mのランチャ(発射台)から水平に発射され、細い針金を張ったスクリーンを次々と貫通して向こう側の砂場に突き刺さりました。
この水平試射は、12日3機、13日6機、14日6機、18日5機、19日2機、23日7機実施され、用意された29機すべてが貴重なデータを提供しました。
このペンシルロケットの開発を推進したのは、東京大学の故糸川英夫博士でした。
2003年5月9日に打ち上げられ、2010年6月13日に60億kmの旅を終え、地球に帰還した『探査機はやぶさ』がサンプル採集してきた小惑星『イトカワ』は、糸川英夫博士に因んで名づけられました。
小惑星イトカワには、"Kokubunji Boulder" と国分寺の名を冠した岩塊があります。