昔、鎌倉に源頼朝が幕府を開いた頃、武蔵の国の山奥に畠山重忠という武士団の棟梁がおりました。重忠は、鎌倉との往復の際に必ず、国府ヶ窪にいる、一人の遊女のもとを訪れました。その名は、夙妻太夫といい、大変に美しい人であったとのことです。
やがて、二人の間には恋が芽生え、愛し合うようになりました。そうした折り、鎌倉にいる頼朝から重忠は、平家を攻め滅ぼすため西国へ出陣せよとの命令を受けました。そのことを彼女に伝えると、これが最後の別れになることを恐れて泣き悲しみ「一緒に連れていってほしい」と強く懇願されましたが、とうとうその願いをかなえてやることはできませんでした。
それからいく日も時が過ぎ、一人残された太夫は、待てども待てども連絡のない重忠の身を案じ、不安な日々を送っていました。そんな時、太夫に恋心を抱いていた男が、太夫を自分のものにしようとしつこく迫り、ついには「重忠が西国で戦死した」と嘘をついて、重忠のことを諦めさせようとしました。それを聞いた太夫は涙も枯れるほど泣き、ついに池 (現在の姿見の池) に身を投じてしまいました。村人たちはその哀れな女心に同情し、手厚く葬って墓のわきに一本の松を植えてやりました。やがてこの松の枝は、西国にいる重忠を慕うように、西へ西へと傾いて伸びたといわれています。この松は不思議なことに二本あるはずの松葉が一本しか付かなかったため、愛する人を想う切ない女心をあらわしているのだと噂されました。
その後、無事に戻ってきた重忠は深く悲しみ、亡き恋人のためにお寺を建て、阿弥陀如来像を安置したそうです。
また、国府ヶ窪という地名は、重忠と夙妻太夫の悲しい恋にちなんで「恋ヶ窪」と変わったとも伝えられています。
この曲では夙妻太夫と重忠の、互いを想う気持ち、絶望して身を投げ、それを嘆き悲しむ様子を「連歌」のように、同じモチーフをつなげていく形にしています。
最後は、重忠の想いを抱いて太夫の魂が天に上るように、光に包まれて終わります。