1964年10月1日、東京オリンピック開催の年に東海道新幹線が開業しました。この新幹線を研究開発した機関が、
第2楽章の解説で紹介した鉄道総合研究所の前身である、旧国鉄の鉄道技術研究所でした。開業当初の営業最高速度は200km/h(東京~新大阪間「ひかり」4時間、「こだま」5時間)。路盤の安定を待って翌年に210km/h運転(同「ひかり」3時間10分、「こだま」4時間)を開始しました。
国分寺市では、鉄道技術研究所(現 鉄道総合技術研究所)のある地名を、1966年に「平兵衛新田」から「光町」に改名しました。
こうした所縁から、鉄道総合技術研究所脇にある「ひかりプラザ」には、東海道新幹線ひかり(0系)の車両が展示されています。
1987年に閉鎖された旧国鉄の中央鉄道学園(現在の武蔵国分寺公園や団地(ゆかり、トミンハイム)などがある敷地に存在した)にも、新幹線0系・101系電車などの鉄道車両が教育目的で多数存在しました。
この曲では、新幹線の疾走感を表現してみました。